同期眼科入局医師の思い出

同期入局の医師が、若くして亡くなってしまいました。
受け入れられない残念な事実はとても悲しいですが、思い出話を少し。。

病気が見つかった、と同期の私たちに連絡がありました。まだ2年前です。
その後「良くなったから大丈夫」、
北九州市に、立派な眼科を予定通り完成させました。


2001年の眼科同期入局は13名、
九州大学医学部卒業したての彼は一際輝いていて、私たちからは遠い存在に見えました。
格好良くて、優秀で、優しい性格。。
九大眼科にはすごい人がいるんだなーって。

大学院で研究を始めると並外れた業績を多く発表して、眼科の全国学会でもすぐに名の知れた存在になりました。
「日本学術振興会海外特別研究員」に選ばれるのは一握りの稀有な研究者です。

ボストンでは2年程度一緒でした。
研究室と同じ敷地内の病院の食堂に、
折に触れて午後待ち合わせて、ピザ1枚とダイエットコーラだけでもいろんな話をたくさんしました。

帰国してしばらくしたら、彼は優秀な眼科外科医になっていました。
紹介されるどんな難しい手術でも、こなしていたようです。

同期入局の別の医師が運営する大分市の眼科を訪れたとき、彼が非常勤で勤務する日でした。
2018夏、私の開院準備を兼ねて見学、彼の外来診察が聞こえました。
その優しい外来が素晴らしかった。

一足先にわたしが開院した直後、ひとりで来てくれました。
その日もいろんな話ができた。

彼とは同期入局で切磋琢磨、というのとは全然違って。
いつも「すごいなー、、」と遠くに見えるような存在でした。
影響を受けたかなと思います。

ボストン在住時に小さかったお子さんたちが、立派な高校生になって今日会えました。
もしこの記事を見ていたら:
本当にかっこいいお父さんでした。
わたしは高取の近所にいるので、いつでも話しに来てくださいね。

喜多君どうもありがとう!!
残された私たちも、
人に優しく、皆の役に立てるように、楽しく仕事をしていきたいと思います。

心から、ご冥福をお祈りします。

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